
九州の歴史を語る上で決して外すことができない地と言えば、やはり太宰府が挙げられるのではないでしょうか。太宰府には有名な太宰府天満宮を始め、数多くの歴史的な名所や史跡があります。また町や通りには「五条」や「朱雀大路」、「国分寺」といった地名が残り、現在でもいたるところに歴史を感じることができます。
現在、太宰府の地名は「太宰府」と表記しますが、これはおよそ7世紀(飛鳥時代)ごろに九州に置かれた統治組織「大宰府」が由来となっています。
大宰府は、663年の白村江の戦いのときに、防衛のために現在の大宰府政庁跡(都府楼跡)へ移されたそうです。それ以降、大宰府において外交と防衛、九州の統治が行われ、「遠の朝廷(とおのみかど)」と称されるほどのかなりの権限を持っていました。
奈良時代の大宰府の政庁は中心の建物に礎石を使い、瓦を葺いた大陸風の立派なものだったそうです。その周辺には、出納を行う役所(蔵司)や大宰府管内の子弟たちのための学校(学校院)などが建ち並び、観世音寺や筑前国分寺・国分尼寺などの大きな寺も建てられました。 この頃が大宰府が最も栄えていた時期で、『続日本紀(しょくにほんぎ)』には「人物殷繁(いんぱん)にして、天下の一都会なり」と謳われたそうです。
しかし、このときの建物は天慶3年(940)に藤原純友の乱で焼失し、その後再建されましたが武家の時代へと移るとともに、大宰府の実権も衰退していき、太宰府は静かな農村へとその姿を変えていきました。
それでも太宰府天満宮で曲水の宴が開かれたり、門前町でさいふまいりで催されたりと、太宰府に人の賑わいがなくなることはなかったようです。

都府楼跡という名称でも親しまれている大宰府政庁跡は、建物は復元されておらず、ただ野原に礎石残されているだけです。
この敷地が本当に広い!政庁正面に設けられていた大宰府政庁南門から正殿があったとされる石碑のあるところまで、ざっくざくと歩けども歩けどもなかなか行き着きません。かつて約1,000人近い役人が勤務していたと言われていますが、それだけの人数が集約されていたのも納得できる広さです。
敷地内には、建物があった場所にその礎石が残され、それぞれの建物の位置や広さも伺い知ることができます。ふと礎石の一つに腰掛けて政庁跡を眺めてみると……ここに柱が建てられ、豪華な建物があり、衣冠装束をまとった役人たちが行きかっていた、万葉の時代のロマンをかきたてられます。また、それが現在ではただの野原になっていることに、歴史という時間の移ろいを感じずにはいられません。
…といっても、ホントに何の建物もない礎石だけの野原なので、なかなか往時の大宰府政庁の建物や人々の姿を具体的に思い描くのは難しいかもしれません。
それならば、ぜひ大宰府政庁跡のお隣にある「太宰府展示館」をのぞいてみてください。
そこには大宰府政庁の復元模型が展示されています。大宰府政庁が、かつて丹塗りの柱に丹塗りの屋根の大きな建物であったことがや、回廊に囲まれたつくりであることなどが分かります。
他にも、当時の貴族たちの装束、大宰府跡の発掘調査により出土した平安時代の溝などが展示されており、興味のある方は、ボランティアの解説員のおじちゃんに声をかけると、懇切丁寧に太宰府の歴史を説明してくれます。また、九州国立博物館にも大宰府政庁南門の復元模型があるので、そちらへ行くのもいいですね。

大宰府政庁跡には、歴史のロマンを味わうため、あるいは開けた野原でゆったりと散歩するためなどで多くの人が訪れます。また周辺には数多くの史跡が点在しているので、歴史に触れながらのんびりお散歩するには絶好のスポットです。
気軽にお散歩できるコースとしてオススメなのが、大宰府政庁跡から観世音寺までのコースです。コース県道76号線沿いの通りと、観世音寺の裏門につながる静かな路地の2通りあって、いずれも徒歩で約5〜8分程度。その道すがら学校院跡や月山東地区官衙(かんが)、日吉神社などの史跡が見られます。
さらに、大宰府政庁跡から太宰府天満宮までは徒歩で約30分程度なので、ちょっとしんどいですが歩こうと思えば歩ける距離。気持ちのよい秋の晴天下で、歴史に触れながらお散歩で運動。頭も体も心もスッキリできそうですね。
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